大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

高知地方裁判所 昭和41年(ワ)539号 判決

原告 細木利監

被告 国

代理人 叶和夫 外五名

主文

被告は原告に対し、金七五四、〇〇〇円、および、うち金六五四、〇〇〇円に対する昭和四一年一二月二四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事  実(一部省略)

第二、請求原因

右公訴事実は次のとおりである。

「被告人は上岡吉馬と共謀の上、山村光長所有名義(実体上の所有権者山村末雄)の高知市役知町一九番地の一所在宅地約六六平方メートルおよび山村末雄所有の同宅地上の木造瓦葺二階建約三六平方メートル居宅一棟(以下、本件宅地、建物という)につき、右山村光長等と抵当権設定契約を締結するにあたり、右山村末雄の承諾がなければ右契約を締結する意思のない右山村光長に対し、真実は山村末雄の了解なしに作成された同人名義の委任状等を示し、同人が真実右契約の締結を承諾している如く申し歎き、山村光長に右契約および登記関係書類へ署名捺印させ、さらに同人の法人の法的無知に乗じ甘言を弄し、同人の印鑑等を、右宅地建物につき所有権移転仮登記等の契約および登記関係書類に押捺した上、昭和三八年一二月二七日、高知市小津町所在高知地方法務局において同所係員に対し右各登記関係書類が有効に成立したもののように装い、これを提出して虚偽の申立をなし、よつて同日同所において、情を知らない右係員をして登記簿の原本にその旨不実の記載をさせて、同日以後、同所に備付せしめてこれを行使したものである。」

二、右公訴提起は検察官川又敬治、その上司である次席検事斉藤正雄、検事正川口光太郎の過失に基づく違法な公権力の行使によるものである。

すなわち、公訴提起にあたる検察官としては、捜査の結果を検討し、不備な場合にはなお十分に証拠の収集につとめ捜査を逐げたうえ、証拠資料を調査検討して客観的に犯罪の嫌疑が十分にあり有罪判決の蓋然性がある場合に限り公訴を提起すべきものであるが、このような検察官として通常要求される職務上の義務を尽くさなかつたため、右有罪判決がえられず、無罪の判決がなされるに至つた場合には、検察官には少くとも公訴提起につき過失があり公訴提起が違法となるものと解すべきところ、本件においては、まず、原告は警察および検察庁における取調に対しては一貫して被疑事実を否認し、川又検察官に対しても訴外中村一子、山本幸、柿内英剛、本吉信雄らを取調べることにより真相が明らかになる旨申し出たのであるから、同検察官としては、原告の申し出にかかる参考人を取調べる等の捜査を尽くし、かつ、訴外安岡住子(以下安岡という)、同山村末雄、同山村光長(以下末雄、光長という)らは夫婦親子の関係にあるから、それらの供述を起訴当時に存在する他の証拠資料と十分比較検討すべきであり、そうすれば、右安岡らの供述に信用性がなく従つて有罪判決の可能性のないことが判明した筈であるにも拘らず、検察官川又敬治はこれらの義務の遂行を怠り、右参考人を取調べることもなく安岡らの供述をたやすく信用し、これらに基づいて本件公訴を提起するに至つたものであるから、右のような捜査を遂げず、経験側に反し証拠の評価を誤つてなされた公訴提起につき右検察官に明白な過失がある。なお、高知地検次席検事斉藤正雄、および、検事正川口光太郎は記録を検討し、誤つた起訴を防止する義務がありかつそれを容易になしえたのにこれを怠り漫然決済を与えたから、右は検察官川又敬治との共同過失であるといわなければならない。

これを評論すると次のとおりである。

イ、検察官の起訴にかかる右事件の真相は、金融業者である原告が、安岡の金銭借用方の申込に応じ、担保として右安岡の内縁の夫である末雄からその所有家屋の、右末雄の実子である光長からその所有名義の宅地の提供を受け、金一、〇〇〇、〇〇〇円を貸与した金銭貸借の問題に過ぎないのである。そもそも、金融業者が、債務者その他の第三者に担保物件を提供させて金銭を貸与する場合、ただ単に形式的に担保権設定手続を経由しさえすれば、該担保権が実体的には無効であつても意に介しないとして、自ら無効の契約書を作成したり担保権設定手続に必要な書類を偽造する等の非違を敢てするようなことは、通常あり得ないことである。何となれば、そのようなことをすれば、後日必ず該担保権を否定され紛争を生じ、ひいては貸金の回収に著しい支障を招来することが明らかであるからである。従つて、原告は右安岡の申し出にかかる金銭消費貸借契約締結に際し前示公訴事実に記載されているような所為をしたことは絶対にない。そして、このことは、その後においても原告が安岡の金銭借用の申込に応じ更に金三〇〇、〇〇〇円を貸与していることからも容易に窺知できるところである。しかるに、検察官は右に述べたような条理に思を致さず、高利貸は手段を選ばず暴利を貧るものであるとの見地に立つて、軽卒にも債務者側である安岡、末雄、光長らの虚構の供述を鵜呑みにして、原告の弁解や真相解明のため中村一子、山本幸、柿内英剛、本吉司法書士らの参考人の取調べを求める原告の申し出を無視し捜査を尽くさなかつたため、結局証拠価値の判断を誤り事実誤認に陥つたものである。

ロ、仲介人である上岡吉馬を介し安岡からの金銭借用方の申込を受けた原告が、右上岡、柿内英剛、中村一子、山本幸らと共に末雄方に赴き担保物件を見分した降、末雄が在宅していて原告らを招じ入れた事実があり、原告は勿論、同道した上岡吉馬、柿内英剛、中村一子、川本幸らも異口同音に右末雄在宅の事実を供述しており、また右担保物件見分前には原告が安岡と会つて金銭貸借について談合した事実がなく、原告もこの点を強く供述しているにも拘らず、安岡ならびに末雄は右事実を否定し、当日末雄は在宅していなかつた旨の供述をし、しかも安岡は、原告が担保物件見分前に高知市播磨屋橋附近所在の喫茶店「街」で予め安岡と面談し、末雄不在の隙をねらつて末雄方に赴くことを打ち合わせ、且つ末雄不在のときに担保物件を見分したものであり、その際安岡に対し右担保物件の所有者である末雄および光長の実印を盗み出してくればあとはよいように計らうからと使嗾した旨供述しているのであるが、そもそも安岡の右供述が信用できるためには、右担保物件見分時に末雄が在宅していなかつた事実ないし右担保物件見分前に喫茶店「街」で原告と安岡間に金銭貸借についての話合いがなされた事実が肯定されなければならず、これらの事実が肯定されない以上安岡に担保物件所有者である末雄、光長両名の実印を盗み出せ等と使嗾したという原告の所為を認定することは困難であり、ひいて同人の供述全体に疑惑の念を挾むべきが当然であるのに、検察官は安岡らのいう末雄不在の事実を認め得ず却つて原告はじめ関係人の供述のごとく当日末雄が在宅していたとの心証を抱きながら、なお被疑事実に符合する安岡の右供述部分およびこれに副う末雄、光長両名の供述部分だけは措信しうるものと思惟し、他に何等の確証も在しないのに、これら供述が原告を有罪と認定するに足る決定的な証拠であるとして本件公訴を提起したのである。しかしながら、これは検察官が前述した明白な論理法則を無視して証拠の価値判断を誤つた結果によるもので、遂に右安岡らの供述の強偽性を看破し得なかつたものである。

ハ、また、原告は、安岡の金銭借用方の申し出に応じその申入額金一、〇〇〇、〇〇〇円を貸与することとし、その取引をするべく、昭和三八年一二月一七日高知市小津町所在の司法書士本吉信雄の事務所において、安岡、光長、上岡吉馬、中村一子、山本幸、栗原ハルらと会合し、右本吉司法書士に契約書その他登記手続に必要な書類の作成方を依頼したところ、その際担保物件である本件建物の所有者である末雄が来会せず、しかも安岡は無資産であつたので、担保物件である本件宅地の所有名義人である光長が債務者兼担保提供者、末雄が連帯保証人兼担保提供者となることを要求し、当初は銀行員としての職務上から金銭貸借の債務者になることは都合が悪いと躊躇していた光長も安岡の懇願ないし説得により漸く了承し、本吉司法書士が作成した必要書類に署名捺印したが、原告は末雄が来ていなかつたため、末雄と直接面談して登記原因証書等に同人の署名捺印を求めたうえ金銭を貸付ける旨告知し、その日は金銭の貸与をしなかつたものである。そしてこのことは関係者のひとしく供述しているところであり、安岡の供述からも窺知できるものであつて、疑念を挾む余地のない事実である。原告が末雄の署名捺印を得たうえ金銭の貸与をすると言つたことは、本件事案の真相を解明する鍵ともなるべきものであつて、原告に公正証書原本不実記載罪等の犯意のなかつたことを明白に裏付けるものである。しかるに検察官がこのように重要な事実の存在に意を用いず本件公訴提起に及んだことは杜撰極りないという外はない。

二、ところで、前述したように本吉司法書士の事務所へ連帯保証人兼担保提供者である末雄が来ず、前記登記原因証書をはじめ必要書類に同人の署名捺印が得られないとして、その日には金銭貸借の取引をしない旨原告が告げたところ、安岡は「末雄が高知県吾川郡名野川へ盆石の採集に行つているので、今夜署名捺印をしてもらつて来るからその署名を得たうえ是非貸付けてもらいたい」と懇請するので、原告は上岡吉馬に担保物件たる本件建物についての各登記手続に必要な書類を交付し、安岡と共に名野川へ行つて末雄に署名捺印をしてもらつて来るよう依頼した。そして翌一八日の朝上岡吉馬が安岡と共に前夜名野川へ赴き末雄の署名捺印を得て来た旨報告し、末雄名義の署名捺印のある前記必要書類を交付したので、原告はこれを信じ本吉司法書士に登記手続を委任し、同日安岡に対し貸金一、〇〇〇、〇〇〇円を貸与したのである。ところが、末雄自らが署名捺印したものとして原告が受取り、本吉司法書士が高知地方法務局に提出した前記書類は、後日捜査の結果全く関係のない第三者が末雄の署名を偽造したものであることが判明した。そして、高知市南警察署の捜査によれば、昭和三八年一二月一七日の夜安岡、上岡吉馬の両名が末雄の署名捺印をもらいに名野川へ行くと原告を歎き、実際は安岡が栗原ハルに誰か知合いの男の人に末雄名義の署名をしてもらつて欲しいと依頼し、栗原ハルがその翌朝たまたま同人方に来た田村浩なる者に依頼し末雄の氏名等を記載してもらつたものであることが明らかとなつた。そしてこの事実は栗原ハルの司法警察員に対する供述調書ならびに伊藤久作成の鑑定書の記載によつて明らかである。しかも栗原ハルは末雄および安岡の両名から或は脅迫され或は甘言をもつて、右末雄の署名を第三者に依頼するに至つたのは、安岡から頼まれたものではなく、上岡吉馬から頼まれたものであると警察官に虚偽の供述をするよう教唆されたので、栗原ハルも最初は司法警察員に対し上岡吉馬から依頼されたものであると虚偽の供述をしたのであるが、良心に咎められ、その後の取調べに際しては、前記安岡および末雄の両名から教唆されて虚偽の供述をしたことを告白し、改めて安岡から依頼された旨真実を供述するに至つたのである。この一事をもつてしても、安岡こそが原告を誣いる立役者であつたことが容易に判断できるのであつて、安岡、末雄らの供述の措信するに足らないことに想到し得るのである。検察官は本件公訴の提起にあたり栗原ハルの前記司法警察員に対する供述調書を検討しなかつたのではないかと疑わざるを得ない。

ホ、また光長も登記原因証書には署名したことがないとの趣旨の供述をしているけれども、司法書士本吉信雄の供述ならびに前示鑑定書の記載によれば、その署名が光長のものであることが認められるのであるから、光長の供述そのものが極めて疑わしく、原告が光長を欺罔したとの公訴事実に符合する同人の供述部分の信憑性も皆無といわなければならない。そうすると光長が虚言を弄する人物であることはたやすく看破できた筈であるが、検察官は光長の供述の信用性を検討せずしてその供述を鵜呑みにして本件公訴を提起したものといわなければならない。

ヘ、更に安岡の供述ならびにその他の証拠を検討すれば、同人の供述には前述指摘した以外随所に虚言癖があらわれている。

すなわち、(1)、岡村素行の司法警察員に対する供述調書(甲第九号証)ならびに安岡の司法警察員に対する昭和三九年一二月七日付供述調書(甲第一三号証)によれば、安岡は本件以外に光長振出名義の金額二〇〇、〇〇〇円の約束手形を偽造し、これを真正に成立したものであるように装つて訴外岡村素行に交付し、同人から金二〇〇、〇〇〇円を騙取している。(2)昭和三八年一二月一七日本吉司法事務所において原告が必要書類に末雄の自署がいると言い出したときの模様について、安岡の司法警察員に対する昭和三九年一一月一七日付供述調書(甲第一〇号証)によれば、同人は、「上岡が安岡に対し『実は細木が山村末雄の自筆がいるけれども、末雄が居らんけに、お前が書いて都合ようにしてくれと私にいうので、奥さんわしが御主人に代つてえゝようにする』といつた。」と述べたようになつているが、安岡の司法警察員に対する昭和三九年一二月二一日付供述調書(甲第一四号証)によれば、原告自身が安岡に対し「委任状はわしが都合よく上岡に頼んでちやんとするけに心配せんでもよい。」といつたと述べているのであつて、末雄名義の偽造文書が作成されるについて、自己を教唆したという相手方についてその供述を変更しているのである。(3)、また、本件金一、〇〇〇、〇〇〇円の貸借のとき登記済証がなくて登記申請手続は末雄、光長の両名について本吉司法書士の登記義務者の人違いでない旨の保証書に基づいて登記がなされたので、後日高知地方法務局から末雄、光長あてに右登記の承諾の有無について葉書による照会がなされたのであるが、この点について、安岡は「その前日頃本吉司法書士から電話で実は登記関係の葉書が行くから、行つたら主人に判らんように誰でもよいから主人と光長の名前を書いて二人の判を押してすぐ持つて来てくれとの連絡があつたので、その葉書がくると光長の弟の匡祐に名前を書かせて本吉司法書士の所へ持参した」と述べている(安岡の司法警察員に対する昭和三九年一二月七日付供述調書―甲第一三号証)のであるが、司法書士たる者がそのようなことを言うとは常識上考えられないところであり、安岡の言をもつてすれば本吉司法書士も共犯ということにならなければならず、安岡の虚言癖もここに至り極まつたという外はない。

そして、検察官が以上の諸点を十分に検討し正当に判断しておれば、原告に犯罪の嫌疑がないとの判断には容易に到達し得た筈である。

第三、請求原因に対する答弁

二、同第二項の本件公訴提起が検察官川又敬治らの過失による違法な行為であるとの点は争う。

ところで、検察官は犯罪の嫌疑が十分であつて有罪判決をえる見込み(可能性)がなければ公訴を提起することができないが、検察官の捜査権が補充的なものとされた趣旨に鑑み、捜査は事件の特殊性に応じ自ら合理的な範囲に限定せられるものであつて、他方捜査によつてえられた証拠資料の証拠能力および証拠力をいかに評価するかについてもそれは検察官の経験側、論理則に則つた自由な心証に委ねられているのであるから、検察官として通常用うべき職務上の義務を尽くし、かつ右自由心証の範囲内で公訴を提起したものであれば、公訴事実につき検察官の心証と、裁判所の心証が異つた結果、裁判所が無罪の判決を言渡す結果となつたとしても、その起訴が違法でありかつ検察官の過失に基づくものであるということはできない。

そこで本件事案についてこれを詳述する。

(一)、まず或る参考人を取調べないことが犯罪捜査上の過失であると言われるためには、その参考人を取調べておれば、検察官とて有罪判決をえる可能性があるとの心証をえなかつたであろうことが肯定される場合でなければならないところ、原告が申し出たという右参考人らの刑事公判廷における証言を検討しても、それぞれ原告と安岡らが喫茶店「街」で会つたとき単に同席していたこと、原告が担保物見分のため末雄宅を訪れたこと等であつて公訴事実の要点と関係なく、同人らの証言が無罪心証の根拠となつたとは到底考えられないから、検察官に捜査上の過失があつたとすることはできない。

(二)、次に検察官による証拠の評価について、安岡の警察官ならびに検察官に対する供述調書によれば、原告が安岡に対し、「山村末雄と光長の実印を盗み出せば、あとは原告がいいようにする。」とか、或いはまた「委任状は原告が上岡に頼んでやるから心配するな、誰でもかまわないから書いて貰え。」と言つたとあり、本被疑事件の核心も右安岡の供述を信用するか否かにかかつているが、検察官川又敬治が同女の供述を信用するに至つた根拠は次のとおりである。すなわち、

イ、原告に高利の金貸業者であるが、一般に高利貸しは債務者の法的無知に乗じて契約書類に署名押印させ、当該契約の効力に拘わりなく、高価な担保物があれば金を貸し、その担保価値を把握して事実上経済的利益をえるというのがその営業の実態である。

ロ、原告は本件土地建物を見分した際、その所有者が末雄らであることを知つていたし、安岡の借受金額は一、〇〇〇、〇〇〇円で主婦の申込みとしては多額にすぎるから、原告としては事前に末雄の真意を確かめるべきであり、そのための連絡をとることも極めて容易であるのにむしろ故意にこれを回避しているのである。このことからしても原告は右貸借のための抵当権設定を末雄が承諾していないことを知つていたというべきである。

ハ、上岡が徴した委任状等の山村末雄なる署名が、全く別人の署名であつたのに、上岡は原告に対し名野川へ行き末雄の署名を貰つて来た。」と言つているのである。然し上岡はすでに二十数回原告のため金銭貸借の仲介をなし、原告に対し背信的行為をなしえない関係にあつたから、右のように原告を欺く必要性は全くない。従つてこれは原告と上岡とが仕組んだ周到な偽装工作というべきである。

ニ、光長は銀行員で金借の意思はなく、本件でも債務者となることを強く拒否していたから、末雄がその所有の本件建物等につき抵当権設定を承諾しているのでなければ、安岡の懇請だけで金一、〇〇〇、〇〇〇円借受けて債務者となり書類に署名捺印することもなく、他方末雄が右貸借の事実を知つたのは昭和三九年一月八日であり、同人は内縁関係にある安岡に対し他から無断で金借することを禁じていたから、右抵当権設定を黙認する筈がない。

ホ、このほか、安岡の供述は変転しかつ栗原に対し偽証をすすめているが、安岡が当時被疑者の立場にあつたからこれを了とすることができる。そして、女性は一般に検察官等の追求を受けると嘘言がくずれ真相を述べるものであるが、安岡は供述の真偽をきびしく追求されたがよくこれに堪えているのである。

してみると、川又検察官が、他の供述等を総合のうえ、安岡の供述に信用性ありと判断し、かつ、本件公訴事実について有罪判決をえられるとの確信を抱いたことに経験則違反はなく、従つて本件公訴提起につき違法はないというべきである。

理由

一、原告が請求原因第一項のとおり起訴され、これにつき無罪の判決が確定したことは、当事者間に争いがない。

二、原告は、右は検察官川又敬治らの過失による違法な起訴であると主張し、被告はこれを争うので判断する。

検察官は捜査終結時の証拠に基づき、犯罪の嫌疑が十分で有罪判決をえる見込み(可能性)が存在する場合には、当該被疑者につき原則として公訴を提起する職務上の義務を負い、その限りで右公訴提起は適法であつて、訴訟終結時の証拠に基づき無罪の判決がなされた場合でも直ちに右起訴が違法であつたとすることはできないけれども、検察官が事案の性質上当然なさるべき捜査を怠つたり、または、存在する証拠の評価ならびに経験則の適用を誤り、自由心証の範囲を逸脱して事実を誤認し、犯罪の嫌疑がないのにかかわらず公訴を提起するに至つた場合、かかる起訴行為は違法であり、これにつき検察官には過失があると解するのが相当である。

そして、(証拠省略)によれば、末雄、光長らは、安岡から、同女の貸金債務につき、本件土地建物の所有者である末雄らが債務者ないしは抵当権設定者とされ右不動産にその旨の登記がなされていることを聞知し、昭和三九年一一月一六日、原告、上岡および安岡を私文書偽造同行使、公正証書原本不実記載罪により告訴するに及んで本件捜査が開始されたものであること、右末雄と光長は実親子の関係にあり、安岡も昭和二五年頃から末雄の内縁の妻であつて、かねて末雄から、他から金借することがないようとくに厳しく注意されていたが、原告らに使嗾され末雄らの印鑑を盗用する等したと供述していたこと、原告は、警察および検察庁における捜査を通じ、終始一貫被疑事実とくに犯意を否認し、むしろ中村一子ら数名の参考人を取調べることにより真相が明らかになる旨主張し続け、また上岡も不正の事実はなくかえつて山村夫婦が上岡らを陥れるため仕組んだものであると弁疎していたこと、がそれぞれ認められるのであつて、安岡が右被疑事実との関係で如何なる位置づけを与えられるかが原告らの犯意あるいは共謀の成否についての重大な鍵となると思料されるのであるから、本件事案にあつては右のような特異な事情を考慮し、犯罪の嫌疑の存否については、原告および安岡らの供述を、十分な捜査によりえられる参考人の供述とも比較検討してその信用性を吟味し、経験則に違背して事実を認定することがないようとくに慎重を期する必要があつたといわなければならない。

三、よつて以上の点を前提とし、起訴時に存在する証拠に基づいて、本件公訴提起の違法性の有無について審究する。

(証拠省略)によれば、本件捜査に際しては当初安岡の供述に疑念を抱いたこともあるけれども、最終的にはその供述の信用性を確信するに至つたのでこれに重点を置き、原告および上岡については起訴当日付で否認証書を作成し、単に原告、上岡の共謀によるものとして原告につき本件公訴を提起するに至つたというのであり、(証拠省略)によれば、安岡の供述には、原告が、安岡から本件土地・建物の所有権者が末雄らである旨聞知して、安岡に対し右末雄らの印鑑を盗用するようすすめた時期は、右(証拠省略)では担保物件見分の際の一回であるというのに対し、(証拠省略)ではこれを訂正し、喫茶店「街」で面談した時およびその後担保物件を見分した際の二回というのであつて、取調べの経過により供述内容に重大な変遷があるけれども、原告の犯意認定の直接的証拠となる訂正後の供述の骨子は、要するに安岡が上岡の紹介で金借の話を進めていたところ、原告は末雄が名野川に行つた留守を狙つて安岡の案内で本件土地建物を見分し、原告は右担保物件が末雄らの所有であることを知りながら、「金はあなたが要るだけ貸してやる、末雄、光長の実印のある場所を知つているだろう、それを盗み出せばあとは原告の方で悪いようにしない、盗み出せ。」と誘い、その後本吉司法書士の事務所で相会したときにも、原告は上岡と外で何かを打合わせ、安岡に対し、「末雄の委任状は都合よくするから委しておけ、誰でもかまわないから書いてくるように」と申し向け、右委任状も安岡の知らない間に上岡が田村に書いて貰つていたというのである。

ところが、(証拠省略)によれば、安岡は末雄と衣料品の販売をしていたが末雄が盆石の採集に熱中し、安岡も病身となり昭和三七年頃からその資金ぐりに窮していたこと、安岡は昭和三四年一〇月末雄の承諾をえて高松相互銀行高知支店から金四〇〇、〇〇〇円を借りうけ、右債務の保証をした高知県信用保証協会のため本件建物につき根抵当権が設定されていたこと、原告は安岡と一面識もなく、昭和三八年一二月一二日頃同女から山本幸さらに上岡らを通じて本件貸借の申し入れを受け、始めて安岡を知つたものであること、原告は安岡の求めにより同月一五日頃右末雄が在宅している際に同人宅を訪れ、同人に招じ入れられ上岡、安岡ほか三、四名の者と一緒に担保物件たる本件土地建物を見分したこと、その際原告は安岡から右根抵当権設定の事実を知り右貸借を断つたが、同女から右根抵当権を抹消するからと懇請されたので、本件土地建物を担保に、金一、〇〇〇、〇〇〇円を貸しつけることとしたこと、その後原告、安岡らは喫茶店「街」で面談し、その結果同月一七日、本吉司法書士の事務所に会し、原告の妻具子を貸主、光長を借主、末雄・安岡を連帯保証人、末雄・光長を抵当権設定者として右各契約を締結する運びとなつたこと、そして同席していた光長は、右関係書類および昭和三八年一二月一八日付委任状に自署したが、末雄は居合わせず名野川へ盆石の採集に行つているとのことであつたので、原告は、その日は金銭の貸与をせず、末雄が関係書類に自署したうえで貸与する旨述べたこと、その際安岡は原告に名野川まで行つてくれるようにと依頼したが当時原告は大金を所持していたので用心が悪いと言つてこれを断わり、上岡に右委任状等関係書類に末雄の署名捺印を貰つてくるよら依頼し、同人が安岡と共に名野川に赴くこととなつたが、右両名は原告の手前をつくろつたまま結局、安岡が栗原ハルに依頼し、同女からさらに依頼された訴外田村浩により末雄の署名が偽造されていることが認められ、このほか、前掲(証拠省略)によれば右安岡でさえ原告が末雄の自署を求めていた旨供述している部分が窺えるところであるから、これらの事実によれば、安岡の前記原告が末雄らの印鑑を盗み出すようすすめた等の供述部分は、他の関係人の供述と甚だしく矛盾し、原告が初対面ともいうべき安岡に窃盗を教唆したというのも不自然であるから、すでにこれらの点で安岡の供述の信用性につき深い疑問が投げかけられて然るべきである。

のみならず、(証拠省略)は、安岡は涙を流して供述が絶対間違いないと強調し、女性ながら検察官の厳しい追求にもよく耐えたことが、同供述の信用性判断に影響したように証言するけれども、安岡は末雄から原告より金借している事実がないか問質されてそうしていない旨言い張つたが、その追求により逐に末雄に対し上岡の世話で金借したことを白状し(証拠省略)、光長に対しても末雄において商売の金が入用だが年末だから銀行は年があけないと都合できないと言い、債務者となるよう要請し(証拠省略)、上岡に対しては末雄の委任状は名野川の同人の所へ行つて署名を貰つて来たことにして原告をごまかしてくれと依頼し、また、昭和三九年九月の原告からの金二〇万円の借用に際しても光長が借りると嘘を言つた(証拠省略)との供述があり、さらに安岡は当時被疑者として取調べを受けていたとはいえ、栗原ハルに対して、委任状等関係書類に末雄の署名の偽造を求めたのは安岡でなく上岡であると述べるよう虚偽の供述をすすめ、栗原は一旦は安岡に同情し末雄らの剣幕におされ教唆されたとおり虚偽の供述をしたが、その後良心に咎められ安岡から直接依頼された旨真実を供述するに至つた(証拠省略)のであつて、かかる安岡の性向は、山本幸の供述(証拠省略)、安岡の公判廷における供述(証拠省略)からすれば、捜査時においても十分察知できたのではないかとさえ考えられる。

そうしてみると、前記安岡の置かれている身分関係、経済状態等を勘案し、虚心にこの事実関係をみれば、安岡の供述は、経済的利害を共通にする末雄らの立場に傾斜し、同人らと担保権の実行を免れるため策動しているか、または、内縁関係の解消を危虞し、逆に原告らとの広義の共犯関係肯定のための弁解を敢えて試みたとみることも可能であり、さらに、前示のとおり原告が確実な担保価値を把握するのでなければさし当り本件貸借の意思がなかつたとみられること、担保物件見分の際末雄が右貸借上の債務につき抵当権を設定することを承諾しているものと思つていたこと、および、原告は昭和三九年二月頃には本件土地建物を担保に、また同年九月頃には手形で二回にわたり、安岡に対し合計金五〇〇、〇〇〇円を貸し与えている(証拠省略)等の事実に徴すれば、むしろ、原告が安岡に欺罔され、本件土地建物につき瑕疵のない抵当権の設定をすることを前提として、金員を貸付けたのではないかとの反対心証を形成する余地すらあると考えられるところであるから、さらにこれらについても捜査ならびに十分な証拠の検討が必要であつたというべきであろう。

そこで進んで、検察官の心証形成における安岡の供述の信用性に関連するその余の情況的事実等について考察を加えるに、(証拠省略)によれば、原告が末雄に対し電話その他により容易にその真意を質すことができたのにも拘らずこれをしていないこと、上岡は、原告と昭和三七年来金銭貸借の仲介を通じてつき合いがあり取引も数度に及んでいたから、末雄の自署を確めずにその旨原告を欺くことはありえないこと、高利貸しは担保物の所有権取得の目的で貸借に際し抵当権設定、停止条件付賃借権の設定等債務者をがんじがらめにするものであるが、本件はまさにそのような事案であつたこと、栗原が書類を預り第三者田村が突如として署名しているが、このように関係人が錯綜するのはカムフラージユの常套手段であること、および、本件貸借は一、〇〇〇、〇〇〇円についてなされているのに、契約に際し実際手交されたのは四〇〇、〇〇〇円であり著しく低額であることをあげているのである。然しながら、原告は末雄に抵当権設定について確かめてはいない(証拠省略)けれども、前示本件貸借をめぐる原告、安岡らの交渉の経過に照らせば、末雄において本件建物等を抵当権の目的とすることを承諾していたのではないかと思われるふしもあり、かりにその承諾がなかつたとしても原告がその事実を知つていたか極めて難わしい。また、上岡は原告と昭和三七年頃から取引があるのに、原告に対し名野川に行つて寒かつたと言い、委任状に末雄の自署をえて来たよう欺いているが(証拠省略)、安岡の金借の求めに同情してなし、しかも末雄の自署と思つていたというのであり(証拠省略)、一二月下旬という時期および上岡が仲介業者として金銭貸借成立により報酬を期待できる立場にあることを勘案すると、右の程度のとりつくろいは必ずしもありうべからざることとはいえない。そして、本件貸借では、本件土地建物につき、抵当権設定のほか停止条件付代物弁済契約を原因とする所有権移転仮登記、停止条件付賃貸借契約を原因とする賃借権設定仮登記がなされている(証拠省略)が、かかる事例は通常の金融取引においても往々にしてみられるところであつて、このことから直ちに原告に債務者をがんじがらめにし不法にその所有権を取得しようとの目的があつたとすることはできず、そのためには、右不動産の時価を客観的に評定する必要があつたといえよう。さらに田村浩が委任状に末雄の署名をしたことは前示のとおりであるが、同人と上岡ひいては原告との意思連絡の点につき何ら証拠がないから、直ちにカムフラージユであるとすることもできない。なお、安岡の手許に残つたのは金四〇〇、〇〇〇円であるけれども、安岡は手数料等を差引かれたが金九〇〇、〇〇〇円余を受取り、前記信用保証協会のための根抵当権を抹消するため金四〇〇、〇〇〇円余を要したので自ら低額たらざるをえなかつたというのである(証拠省略)から、川又証人の前記挙示事実ならびに経験則によつても末だ安岡の供述の信用性を裏づけひいては原告の犯意を推認せしめるに足らない。

このほか、光長は金借の意思も担保提供者となる意思もなく登記関係書類に署名していないとする(証拠省略)けれども、(証拠省略)によると、安岡から末雄が金借するので債務者となるよう求められてこれを承諾し、昭和三八年一二月中旬の昼頃本吉司法書士の事務所で、借用証・委任状に署名したもので、右は鑑定の結果(証拠省略)によつても明らかであり、このほか前示のとおり末雄の署名はその後になされていることを勘案すると、公訴事実中、原告が末雄の承諾がないのにこれあるように装い光長を欺き甘言を弄したとの認定も動揺せざるをえないというべきである。

そして以上縷々述べたところによると、起訴時に存在する証拠を前提としても、安岡、光長らの嘘言癖は明らかであり、その供述に到底信用性を認めることができないのみならず、さらに他に合理的疑問が多々存在するにも拘らず、検察官川又敬治は、安易に起訴事実に符合する安岡、光長らの供述に依拠したため、証拠収集ならびに収集証拠に対する十分な検討を怠り、ひいて証拠の評価ないしは経験則の適用を著しく誤り、原告につき犯罪の嫌疑があるとは到底認め難いのにも拘らず有罪判決の可能性ありとして漫然本件公訴を提起するに至つたことが明らかである。してみると、右検察官の上司による決済行為の違法性につき論及するまでもなく、すでに本件起訴行為は違法であり、右は公権力の行使にあたることは言うまでもないから、被告国は、国家賠償法第一条第一項に則り、右行為により原告の蒙つた損害につき賠償の責に任ずべきものである。

四、よつて、右起訴による原告の損害額につき検討する。

まず、物的損害について、(証拠省略)によれば、原告は本件起訴による刑事裁判費用として林ならびに細木両弁護士に対し昭和四一年三、四月頃、その着手金として各金五〇、〇〇〇円、および、同年一一月中旬頃その成功報酬として各金五〇、〇〇〇円を、林弁護士の証人尋問のための出張旅費および原告の旅費として合計金三五、〇〇〇円を、捜査ならびに公判記録謄写料として合計金一九、〇〇〇円を下らない額をそれぞれ支出したこと、および、本件国家賠償請求事件において右両弁護士に対し同月二〇日頃、着手金として各金五〇、〇〇〇円の支払いを余儀なくされ、かつ、その成功報酬として各金五〇、〇〇〇円を支払うべき旨を約した事実がそれぞれ認められ、本件刑事・民事々件に対して支出しまたは支出すべき額は、公判の経過、事件の難易その他諸般の事情を考慮して不相当でないと認めることができる。

次に、精神的損害について、(証拠省略)、および、(証拠省略)によれば、原告は金融業を営み、家族が母、妻のほか子供三人であること、本件起訴により新聞紙上に報道せられる結果を招来したことが認められ、これら原告の地位職業のほか精神的損害が無罪判決によつても十分償いえないものである点を斟酌し、その慰藉料は金三〇〇、〇〇〇円をもつて相当と認める。

五、してみると、被告は原告に対し、本件起訴による損害賠償として合計金七五四、〇〇〇円およびうち金六五四、〇〇〇円に対する右不法行為およびこれによる損害発生の後である昭和四一年一二月二四日から完済に至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、右の限度で原告の本訴請求を正当として認容すべく、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 安芸保寿 稲垣喬 小野聡子)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例